動物の権利福祉4
ムル 問い合えず動物の福祉についての話しは一応今回で終わりにしたいとおもいます。どうすれば私たちの動物の権利を人間にわかってもらえるかなどについて、みなさんのご意見を聞きたいとおもいます。またこの、キーキさん、ミイヤさん、ガブガブさん、ラクラクに限らず、杜先生やドナさん、バンビさんも参加してください。
杜先生 動物の福祉を考えるうえで、一番の要因は人間の欲望により大量生産・大量消費・大量廃棄からくる、人間中心主義からくるもので、宇宙は138億年前の爆発により誕生し、太陽系。地球は46億年前に、その10億年後の36億年前に一つの生命の誕生した。わたしたち地球上のあらゆる生命はその子孫でもあるんだ。
それはこの宇宙船地球号は、一つの世界であり一つの家族である。そのことを忘れてはならないのだが。人間は、自分の欲望を満たすために、自分たちだけが所有する正当な権利があるとし、あらゆる物を所有しようとすることから、躊躇なく動物の権利を剥奪することを正当化している。
キーキ アメリカ大陸の先住民や北海道の先住民は、あらゆるものは自然のもので、人間のものではなく、大地や動物や植物は、売り物ではないと考えています。しかし、人間は地球を所有できるものだと考えている。それにより地球の各地に住む人間の文化や集団の、独自性・文化の多様性・生命の多様性、それぞれの生業を破壊ししている。
ミイヤ わたしの飼い主をみていると、そのようなことを考えず、いまの自分の生活が豊かで便利なことに満足してそのようなことを考えてない。いやそのようなことを考えることをわざと避けている。なぜなら、考えると自責の念を感じるし、考えて行動を起こすと自分の生活が不便になるからだ。わたし自身も飼い主が改心して行動を起こすと、わたしのペットフードでなく、いまのとは違う物になてしまうので困るんだ。
キーキ しかし、あなたの本来あるはずの野生の心は捨ててしまうことになるよ。
ミイヤ もうすでに、人間に飼われるようになり、1万ねで何百世代になるんで、本来あるべきの野生の心を忘れてしまっているんだからしかたない。
バンビ 人間の説話に「キツネとサソリ」*という話がある。そんなに野生の心がなくなってしまうとは思わない。私たち奈良のシカもコロナで観光客が減り、鹿煎餅が食べられなくなったが。奈良公園の草や近くの道路の街路樹の葉などを食べるための、以前より行動範囲が広がり世界も広がったんだ。ミイヤさんも行動を転換すれば変わるよ。ミイヤ 確かにそうだが、それによる生活の変化がどのようなものかわからないので、いまの方が安心でいれる。
キーキ 間違っているとわかっていても、行動を変化させると、その変化により未知の違うことが起こるこちに不安にないり、今までどおりをでいつづけようとする。どうしたら、人間中心主義からの転換ができるだろうか。
ダブダブ この宇宙船地球号で生活するに、一つの世界であり一つの家族という意識を持つことが大切だ。
キーキ しかし、人間は宇宙船地球号であるノアの箱船に住んでいることを自覚していないんだ。だから、人間の豊饒な社会は動物の生きる権利の排除と強奪・掠奪からきている。それは人間の過去の豊かな文化を欠乏させ画一化し、人間・動物を含めてその生態環境を破壊し、文化を奪い取って一極の枢軸に集中させてしまっている。それは動物の権利福祉を収奪するばかりか、人間社会においても、勝ち組と負け組の分断を起こしている。しかし、人間の収奪された負け組はそれに甘んじて僅かな儚いトリクルダウンで満足している。人間よくもそれで満足できるものだと感心しているんだ。
ドナドナ 人間の食べる食肉は益々増える一方だ。食肉なるわたしが言うのも何だが、オオカミがシカを食べたり、ライオンがシマウマを食べることが悪いとは言わない、同時に人間がウシの肉を食べるなとも言わない、しかし、皿の上に乗っている肉がどのような過程であるかを知って欲しい。
ダブダブ あの過酷な畜産工場のゲージの中を少しでも知って欲しい。しかしそれは畜産業の猿轡、薬の化粧品の化学製品の猿轡として、それについて話すことは禁忌されている。だから、皿の上の肉を躊躇い無く笑顔で食べることができるんだ。
キーキ 現在の、人間の人口では理想とする畜産では、需要を賄えないので、いまの畜産工場での肉の供給は仕方ないと人間と考えている。私たち動物の本来ある福祉権利について思い遵守すれば、需要を賄えずまた採算もとれないのでこのような非道な扱いを私たちは受けるのだ。
ドナドナ つまり、動物の権利や福祉を考えない人間中心主義にとりつかれている、それにより冷酷な人間となっている、それに気がつかない人間は哀れな生き方をしているんだ。
杜先生 人間はあらゆるものの所有権をの尊重を主張し、このウシは自分が品種改良したので占有する権利があるとし所有権を主張する。動物だけでなく植物の種子などの品種改良をしたからとその所有権を主張し独占しようとする。いまや人間は、生命ある動物や植物を工業製品と同じものとしか見ていないようになっている。それが、畜産工場であり農業工場を正当化して所有権を独占する。それは神が死にその結果いつまでも人間以外の生命をコントロールし支配できると勘違いしている。
キーキ 実験動物を実験者は、進んで猿轡を嵌めているようだ、実験室でホロコーストの実験しつで残虐限りのことをしても、家族とあるいは恋人と笑いながら、実験室でしたことが無かったことのように、テーブルの上に置かれているステーキを食べている。まるで残忍で無慈悲な人に見える、しかしその市井では善良な市民と評価されている。ラクラク わたしは酪農の狭いケージの中で身動きができないので、足腰は弱り精神的にも不安定になり、乳のでがわるくなる。すると人間はわたしを伸び伸びできる草原につれていってくれて放牧するのではなく、獣医がきて薬を打ったり食べ物に得体の知れないものを混ぜている。
ミイヤ ひどいな、人間はもし自分がそのようなことをされたらどうなのだろう。犯罪を犯し独房に閉じこめられている人も、運動の時間があり時間に縛られているが自由の時間ある。わたしの飼い主は家の中でかっているが、自由時間ばかりだ。
キーキ それはあなががペットだからだよ。動物実体の猿轡のはなしがでたが、このところ、人間界では、説明責任とか言語化しろとか視覚化とか透明性を高めろとかいわれている。しかし、動物に対してはその反対のようだ。動物には感情や意志がないまひどいのには痛みを感じないなどと本気で信じ、自分の行いを正当化する人もいる。それ自体人間は動物には権利や福祉は必要ないと思っているあらわれだ。
杜先生 私たち人間は、動物の生きる権利や福祉のことを今まで疎かにしてきたことを振り返り、反省しなくてはならないんだ。この地球にあるあらゆる現象は互いに関連し合っていることを、人間はわすれているのだ。特に生き物については互いに影響し合っているので、動物実験のような人間中心主義の考えにより、その生命を蔑ろにしさらに、その実験をする人、またその実験により生まれた製品を、何も知らないからと使うことは反省すべきだ。わたしが、100年前にアフリカに行ったとき、そこの人たちは自然と共に生きていたが、いまは、欧米の科学技術により一変してしまている。さらに今日、科学技術が発展しAIが急速に発展し人間は自分で考えなくなっている。このことは、いまの動物の権利を気にしない風潮がさらに酷くなるか心配している。そこで、今回ここでいろいろ話された方々は、もっと主張していくべきだと考えているんだ。
それには、いまの極度に発展した科学技術に一歩距離を置くことのように、動物とも一歩距離を置くのがよいだろう。
ムル だいぶ長くなりましたが、と応えずこれで一先ず置きたいとおもいます。また、いずれ、動物の鼎談をしてみたいと思います。お楽しみを。
あっ! ひとつ忘れていた動物虐待がった。それは標本展示をしている。動物園や水族園や植物園での生物です。それを最後にしたいです。
* キツネとサソリ
一匹のサソリが川岸を歩いて、何処かに対岸に渡れるところはないかと探していました。
すると、一匹のキツネがやってきたので、サソリは、「俺をおぶって向こう岸まで連れていってくれないか」と言いました。
すると、キツネは泳げないサソリを見て、「冗談だろう。お前は川の中程にくると、俺を刺すに違いない、そうすると俺は溺れてしまう。」と言いました。
そうするとサソリは、「よく考えてみな、お前を刺してしまうと、この俺まで溺れてしまうしまうじゃないか」
キツネはその話を聞き、もっともだと思い、サソリを背負って川を渡り出しました。
川の中程に来たころ、キツネは背中に激痛を感じました。キツネは毒が身体に回る中、サソリに尋ねました、「どうして刺した? 君も溺れてしまうのに」
サソリは哀しそうな声で答えました。
「本能なんです。」
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